今日は三連休の真ん中。日曜日。
まだ体調がイマイチだったので、本当は家でのんびり過ごしたかったけど、頼まれていた用事があったので、午後ちょっと出かけてきた。
頼まれていた用事とは、本日開催のイベントに参加すること。
私に頼んできた人は「〇人以上に声をかけて参加をお願いする」というノルマがあるみたいで、私に「絶対に来てね」と強く念を押してきた。
多分、私だけでなく他の人にも、同じように声をかけているんだろうな…と思いつつ、私は黙って話を聞いてみた。
そして、この時の私は、「是非参加しますね」とは言い切れなくて、「その日、もしも空いていたら行かせていただきますね」と、少し濁した答え方をしてみた。
体調がイマイチだったのが原因だけど、それ以外で、あまり興味がない内容だったこともある。
だけど、頼まれたのに行かないで過ごすのは、ちょっと心くるしい。
結局のところ、やはり気になって無視はできないので、義理で顔を出してみることにしたのだった。
それにしても、このご時世で「イベントに参加する」ことを強くお願いするのは、相手に変なプレッシャーを与えることになるから、あまり良いことではないなぁ…と思った。
強く参加を頼むのはいいけど、頼まれた側がコロナがらみで行けなくなった場合、黙って欠席することは難しい上に、「どうして行けなくなかったのか」を説明しなくてはいけなくなる。
これは、プライバシーにもかかわることだから非常に難しいことだ。
コロナがらみでなくて、単なる体調不調であっても、それは同じだ。
体調不調で休むことを相手に伝えた時、相手が大袈裟に受け止めて大騒ぎするかもしれない。そうなると、相手のリアクションが心配になり、理由を説明するのがつらくなってくる。
とはいえ、頼んだ人は、自分が強く頼んだ相手が当日来てくれなければ、「どうして来てくれなかったのだろう」と落ち込むだろうし、「なぜ?何があったの?」とその理由を聞きたくなるだろう。
それで「どうして?何があったの?」と詰問されたら、行かなかった理由を相手が納得する形で説明しなくてはいけない。
このやりとり。考えるだけだも、頭が痛くなる…。
そう思うと、コロナ第7波が来ている今、昔の感覚で、イベントへの参加を知人に強く頼んで回るのは、あまり良いことではないなぁ…と思った。
言いにくいことを無理に言わせるような結果にならないよう、最初の「頼み方」や「おススメの仕方」は、きめ細かい配慮のもと、相手の負担にならないように工夫して伝えることが必要。
そうした事前の心配りは、円滑な人間関係を維持するために必要なことだと思った。つまり「思いやり」が大事だということだ。
とりあえず今回は行ってみたけど、参加中、何事もなく無事に過ごせてよかった。
そして、逆の立場になった時、相手の負担にならないような「軽やかな声掛け」ができる人になりたい…と思った。